それから、イタリア

なんだかんだ時間が過ぎてしまいましたが、素敵な世界遺産を沢山観て、美味しい物を食べ楽しい旅行でしたが、帰国日の朝のニュースではびっくりしました。直後は電話もつながらず、イタリア語でわからないけど映像だけ見てました。にーさんの非常用のケータイがなんとかつながり、無事の確認はとれました。その後はイタリアの空港も情報がはっきりしなくて、飛行機が飛ぶ、飛ばないって何度も話が変わりました。空港で待たされ、関空へは飛ぶ事になりましたが、成田便の人が乗る分の席は全部ありません。関空に着いても東京までの交通がどうなっているのかも。。。そんな何もわからない中で、もう一日滞在することに。
しかし、こんなところにいる時に、震災対策本部の立ち上げ召集。それって無理じゃぁん。。。イライラしてもどうしようもないけど。気分的に落ち込んでいましたが、アリタリアが用意してくれたホテル近くを見て回り、これからの事をふたりで話し合いました。兎に角、ひと席でも確保できたら先に帰るからいいかなぁ、、、って。いいよって言ったけど、ここはイタリア、ソウルならどうにか^^;次の日の成田便は飛ぶ事になりましたが満席。はじめからその日に帰国する人がいるのですから。。。ここで最悪の選択をすることになりました。
ビジネスクラスのひと席の選択でした。割引なしの正規料金を提示されました。こんな時そんな事言うの???考えていたらなくなってしまう、、、即答までいきませんでしたが、すぐ確保してもらいました。それから空港でトランクの詰め替えして、全財産のユーロと、ドル、円をもらって、数分でお別れしました。滞在中お買い物していて、、、って言われても、気分は暗いし、言葉わからないし、、、ビジネスの支払あるし、頭の中ぐるぐる。でも被災した方に比べたら、怪我もなく元気だから、、、って思いました。
にーさんとは一日遅れで帰国しました。ひとりでのローマの休日は、ドキドキしながら、少しお買い物したり、レストランでピザとワインをいただいたり。どこに行っても日本人とわかると、言葉はわからなくてもジェスチャーを交えて、地震で大変だねって心配してくれました。街の中で両手と膝をもろについてバタッて転んでしまいました。なんだか悲しくなってしまいました。若いイタリア人の方が助けてくれました。ありがとうございました。
まとまりがなく、記憶がバラバラですがこんなイタリアでした。

避難されている方が一日でも早く、ご自宅にもどれる事ができますように、ありきたりな言葉しか言えませんが、心より祈るばかりです。
長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。